中川酒造は、幻の酒造好適米「強力(ごうりき)」の命を宿した鳥取の地酒「強力」を醸造・販売しています。
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お酒は20歳になってから



 
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 昭和の終わり。地酒ブームという言葉をよく聞いたものだった。だが、地方の多くの田舎町では特別何かが盛り上がたっというわけでもなかった。メディアから、地酒、地酒という言葉を聞くだけで、地方で日本酒の消費量が伸びた、などという話はほとんど聞かなかった。地酒ブーム、とやらが盛り上がっていたのは大都市の一部だけであり、地方の一握りの造り酒屋にしかその恩恵をもたらしてはいなかった。

そんなとき、男は一人考えていた。

地酒って何だ?

ワインの本場フランスではアペラシオン・コントローレという制度の下優れたワイン生産地は、葡萄の品種、収穫量、醸造法などを国が規制し、その地域性、伝統、品質が守られている。鳥取県東部に古く江戸時代から続く造り酒屋の中川盛雄氏は、そこに本来の地酒というものの在り様を見ていた。薄っぺらいメディアミクスによって作りだされる市場は大都市だけのもので、さらに一過性のものと相場が決まっている。そんなものを飛び越えた、真の地酒が造りたい。

昭和61年(1986)。「夏子の酒」は、まだその連載を開始していなかった。その中に「上田久」役で登場する現鳥取酒造組合連合会技術顧問、上原浩氏の前で、中川氏はそんな心情を吐露した。その時上原氏から出た言葉は、こうだった。

「鳥取にはかつて強力(ごうりき)といわれる酒米があった。」

 
 
 強力米は明治の中頃、鳥取県東伯郡下中山村(現 西伯郡大山町)の渡邊信平氏が在来品種の中から育成栽培したのが始まりとされている。その頃には農業試験場などはまだなく、つまり心意気があり、地主でもあった篤農家の渡邊氏は優良品種を求めて長い時間をかけた選抜を自らの土地で行ったということだ。
 大正4年(1915)に鳥取県立農事試験場で系統分離され大正10年(1921)に奨励品種に採用されるころには、強力米を鳥取の特産品として拡販していこうという機運が高まり、寿司米、酒米として県外にも多く出荷された。最盛期には6千余町部にも達し、名実共に鳥取を代表する特産米となった。ただ強力米は、丈が長く(140cm)大粒で「強力を育てるのは暴れ馬を乗りこなすようなもの」といわれるほど、その育成に泣かされた生産者も少なくなかった。戦争の影が落ち始めると、更なる食糧増産を求める生産者は少しずつ強力米を別の品種へ変更していき、終戦の昭和20年(1945)には県の奨励品種からも外されてしまう。そして、昭和29年(1954)頃を最後にその姿を消してしまった…。

 
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