中川酒造は、幻の酒造好適米「強力(ごうりき)」の命を宿した鳥取の地酒「強力」を醸造・販売しています。
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「山田錦は確かにいい米ですが、鳥取から生まれた米ではありません」


 「本来の地酒の姿」をと、中川氏は強力米の種子を求め各所を奔走するも、未だ見つけ出せてはいなかった。そんな昭和62年(1987)のある日。中川氏は西尾隆雄氏と邂逅する。西尾氏は元鳥取県農業試験場長であり、鳥取県東部の八頭郡に居を構える地元篤農家でもあった。自分の蔵の酒を飲みながら中川氏は西尾氏に言った。「これは確かに地元で取れたお米で造りましたが、これが真の地酒だとは私には言えません。昔、この地に強力という酒米があったことを私は知りました。山田錦は確かにいい米ですが、鳥取から生まれた米ではありません。鳥取だけにしかない鳥取のお米と水で醸す。それが本当の地酒じゃないでしょうか。」何も言うことはなかった、西尾氏はこの熱い酒造家のために、幻の米を求めて走り出していた。
 
 
 西尾氏の機転により、農林省種子センターに種子が残っていることがわかったが、あまりに少量のため栽培は断念するほかはなかった。そしてさらに県内の心当たりを尋ね尽くして最後にたどり着いたのが、鳥取大学農学部の木下収教授であった。鳥取大学では昭和30年(1955)から在来の酒造好適米の試験栽培を行っており、それらを育種、保存栽培していた。強力はその命を繋ぎ続けていたのだ。「本来の地酒の姿」をとの熱い男たちの想いに、木下氏は強力米の種子を提供することを快諾した。
 大学より入手した1kgにも満たない種籾を、単一品酒醸造ができる収量にまでするには2年の歳月を要した。「郷土の先輩が残した品種を、この手で復活させる。よし、やってやろう」一握りの種籾にかけた気持ちを、後に西尾氏はそう語ってくれた。戦前、強力はそのほとんどが鳥取県東部の八頭郡で栽培されていた。約30年の歳月を経て、強力は再び八頭の3畝の田にその根を張った。「米作り」にその人生の多くをかけた男のプライドが、昔ながらの農法で郷土の先人達が残した品種を復活させることに燃えた。昭和63年(1988)秋。篤農家、西尾隆雄氏はその種籾から2.5俵を収穫した。2年目、西尾氏は熱い酒造家の思いにこたえるべく、モロミ一杯分の収量を目標に周囲を巻き込んでいく。農協に掛け合い、共に「強力米」を栽培してくれる有志を募った。手間のかかるその品種の栽培に、尻込みするものも少なくなかった。それでも昔、強力米の収量ほとんどを栽培していた八頭の各地で、心意気を持った8名の、まさに八つの頭の篤農家たちが「本来の地酒の姿」という夢に賛同し、強力米の育成へと漕ぎだした。「よっぽど損をする気でつき合ってくれた人です」当時を振りかえり西尾氏がそう言って笑った。8名は初めて手がける品種に戸惑いながら、意見を出し合い助け合い、平成元年(1989)秋には、70俵、4200kgの強力米が収穫された。その年、八頭の田の畦には「強力米復活の地」と書かれた木碑が打ち込まれた。

 
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